叁田キャンパスの歴史は1871(明治4)年、庆应义塾が芝?新銭座から叁田の旧岛原藩中屋敷に移転した时から始まった。中庭の大银杏など、旧岛原藩中屋敷时代からその场所に生えていたと考えられる木もあり、近代的な校舎と趣のある重要文化财が自然に溶け合うキャンパスには深い歴史が息づいている。
重要文化财の図书馆旧馆以外にも、叁田キャンパス内にはさまざまな歴史的建造物、彫刻や絵画などの美术作品が点在していることをご存知だろうか。美术作品の多くは太平洋戦争后に制作されている。これは庆应义塾が日本の大学で最大の戦争罹灾校だったことと深い関係がある。戦后、建筑家の谷口吉郎を中心に急ピッチで校舎の復兴计画が进められた。教室难、财政难に苦しむ中でも、箱(教室)だけ作っても意味がないと考え、建物?庭?絵画?彫刻を组み合わせた「综合芸术」としての空间デザインに心血が注がれたという。学びの场に歴史や文化を语る建物や碑、木々、一流アーティストたちによる美术作品が共存していることから、义塾がどのような环境で学生を育てたいと考えているのかが见えてくる。
このようにキャンパスは学びの場であると同時に、「綜合芸術」の場でもあることを多くの方に知ってほしい。そのような想いをもとに制作されたのが、「三田キャンパス 歴史芸術ガイド(歴芸ガイド)」である。歴芸ガイド制作の前段階として、キャンパスマップ制作にも触れておきたい。義塾のキャンパスマップは1993年から制作されている。平面図から始まり、すぐに航空写真をもとに描かれた鳥観図のマップに進化した。蛇腹で上部が斜めにカットされているため、折りたたんだ状態で全てのキャンパス名が段違いで見える形は、当時の広報室員がホテルのバーのメニューを見てひらめいたものだという。
キャンパスマップは好评を博したが、あくまで建物の位置情报を确认できるマップであり、记念碑や彫刻の记载はなかった。そこで1997年に制作されたのが「叁田キャンパスを散歩しよう」(通称:お散歩マップ)である。マップ上の建物?碑?彫刻に番号を付けて绍介し、自动贩売机やお手洗い、食堂や生协购买部の场所まで记载された、手に持って散歩できるマップだった。さらに福泽諭吉の身长?体重?ウエスト?肺活量まで记载するユニークな试みも。その后、入学広报を担う入学センターが高校生向けのキャンパス见どころマップを制作すると、広报室のお散歩マップは、より硬派に建筑物や歴史、アートを扱うマップとして差别化をはかり、歴史芸术ガイドと名付けられて现在に至る。叁田キャンパス访问の际は、ぜひ叁田インフォメーションプラザなどで入手の上、キャンパスの歴史や美术作品を楽しんでいただきたい。
(広报室)
※所属?职名等は本誌発刊当时のものです。