『西洋事情』出版の翌年、1867年のパリ万博で日本は初の出展を果たした(徳川幕府のほか、萨摩藩と佐贺藩も独自に出展)。会场では日本の陶磁器や漆、和纸といった工芸品や浮世絵などの美术品がヨーロッパの人々の目を夺い、これが「ジャポニスム」の流行など日本文化が世界に広がる大きな契机となったと言われている。
日本で万博が开催されたのは二つの世界大戦をはさんでそれから100年以上后のこと。1970年、アジア初の万博が「人类の进歩と调和」をテーマに、奇しくも若き福泽が兰学などを学んだ绪方洪庵の「适塾」があった大阪で开催された。当时の最先端技术と文化が集结したこの万博は戦后日本の復兴と発展、まさに高度経済成长期の人々が见た梦を象徴するイベントとなった。
21世纪に入り、2005年には爱知で「自然の叡智」をテーマに「爱?地球博」が开催され、さらに20年を経て万博は再び大阪に巡ってきた。今、私たちは万博开催にどのような意义を见いだせるのだろうか?